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    敬司1

     





     女子たちのかん高い嬌声があがって、黒板にまたひとつ名前が書き込まれた。浜崎二中二年C組、総勢三十八名のうち、これでもう八割以上の配置が決まったことになる。
     教室、三階廊下、中庭の池、等々。黄色のチョークで大きく記されているのは各生徒たちに割り当てられた担当場所で、その横には見慣れたクラスメイトたちの名前が白チョークでずらりと書き並べられている。
     僕は緊張に滲んだ額の汗をぬぐい、目の前に立ちふさがるライバルたちをすかした視線で流し見た。
     体を斜めに開いて構えるスギモトの涼しげな目はいつになく血走って、その隣で巨漢のミッチーが関取みたいに大きな手を握ったり開いたりしている。
     奴らは本気だ。
     そして僕も本気だ。
     僕は軽く息をつき、問題の黒板にチラリと視線を走らせた。

    5.音楽室、男女各一名/水原
    7.図書室、男子一名女子二名/橋本・石塚
    8.体育用具室、男女各一名/佐倉

     三列目で目の前に星がはじけ、心の炎がバシバシ燃え上がった。

     体育用具室、男女各一名・佐倉
     体育用具室、男女各一名・佐倉
     体育用具室、男女各一名・佐倉

     頭の中で三度も唱えると、胸みその血管が焼き切れそうになった。
     スギモト曰く「体育用具室は校庭の隅だし、少々さぼってもばれないかもな」
     ミッチー曰く「早めに終わればマットで仮眠できそうだね」
     ――なるほど、もっともな意見だ。
     しかし僕は知っている。普段は真面目なミッチーが慣れない嘘をついていることを。奴の本当の狙いが何で、奴にとって最大のライバルがこの僕であることを。
     この際、モテモテ野郎のスギモトのことなんてどうでもよかった。奴が校内マラソン大会で毎年僕とトップを争う相手であることも、クラス中の男子をだしぬいて美人の水原さんを狙っている抜け目のない男であることも、今の僕には何の問題でもない。
     ちなみに僕の主張は「体育用具室なら暇なときにバスケとかして遊べるじゃないか」というものであったけれど、そんな見え透いた嘘は当然、ライバルとしてミッチーも見破っていることだろう。
     そう、今、この瞬間。
     僕のライバルは子憎たらしいスギモトではなく、巨漢のミッチーただ一人なのだ。スギモトだってもちろん勝負の相手だけれど、奴の狙いは体育用具室ではない。だから実際のところ問題にはならない。
    「次で決まるな、ケイジー?」
    「ああ、そうだな」
     僕とミッチーの鋭い視線がぶつかり、教壇横の狭いスペースに男同士の熱い勝負の気運が高まった。
    「準備はいいか?」
     スギモトが囁くように言った。
     ミッチーがふくよかな顔に脂汗を浮かべてうなずき、僕も親指をたててニヤリと、金の二丁拳銃を持ったニコラス・ケイジのように笑った。
     三人の呼吸がシンクロし、いまや戦いの狼煙があがったのだ。
     教室の中はあいかわらずざわめいているけれど、教壇横には緊張みなぎる刹那の静寂がおとずれた。
    「せーのっ」
     スギモトが拳を引き、ショートヘアーに隠れた水原さんの横顔を盗み見た。
     ミッチーは緊張に真っ赤になった頬をひきつらせ、僕も目当ての長い黒髪を祈るように流し見た。
     しかしそれも一瞬、三人の気合いが絶妙の間をもって一つに重なる。
    「ジャンケン――ホイッ!」
     勝負は一瞬、時の運。
     そして運を呼ぶには実力が必要だ。
    「よしっ」
     僕は軽く腕を引き、ガッツポーズを作った。「悪いな」とミッチーのガッチリした肩をたたき、悔しそうに舌打ちしているスギモトの胸を軽くこづき、教壇の上の長野さんに結果を申告する。
    「笹原敬司、体育用具室」
     クラス委員長の長野さんは、ようやく決まったのかと苦笑をうかべ、黒板にカッカッと僕の名前を書き刻んだ。音楽室が目的であることに違いないスギモトは一安心したのだろう。「ヒュウッ」とキザったらしく口笛を吹いた。ミッチーはいまだにこの勝負の結末が信じられないのか、大きな手をパーの形に開いたまま瞬きさえしようとしない。
     男同士の決闘の結末は、いつも非情なものなのだ。

    8.体育用具室、男女各一名/佐倉・笹原

     たかが黒板の文字だった。けれど、それを見る僕の心はただ事ではなかった。
     女子の名前のすぐ横に自分の名前が並んでいる。正直、ちょっと居心地が悪い。確かに居心地は悪いのだけれど、それを補って余りあるほど嬉しくもある。男心は複雑なのだ。
    「ケイジー、邪魔だよ」
     スギモトの声がして、僕はあわてて教壇から下りた。どうやら僕が一人悦に入っているあいだにも決闘はつづけれていたようで、奴は無事に音楽室の権利を手に入れたらしい。
     とすればミッチーは図書室担当になるわけで、敗者にかけるべき言葉なんてのは何もあるわけが無いのだ。
    「さて、と」
     あらためて教室の中を振り返る。
     前から五列目の窓側から四列目。教室のほぼ中央に位置するのが僕の席で、けれど僕の視線はその隣の席で釘付けになった。釘付けになった視線の先で、彼女が小さく微笑んでいた。
     ぱっちりとした目が黒く輝いている。凛々しい眉も優雅なカーブを見せている。一直線に切り揃えられた前髪。背中にかかる長い黒髪。つやつやの肌はチョークの粉より真っ白で、ほっぺたは少し赤く色づいている。
     はにかんだように笑う彼女の唇から白い歯が見えて、僕の心がじんじん痺れた。その痺れはすぐに僕の全身に伝わり、指の先から脳みその底までを生クリームのようにふわふわととろけさせる。
     どうして君はそんなに美しいのだろう。スギモトの好きな水原さんもショートカットの美人だけれど、君は水原さんを遙かに越えて美しい。
    「さあて、やるかっ」
     僕は軽く気合いを入れて教室の後ろへとむかった。並んだ席のあいだをつっきり、彼女の横を泳ぐような気分で通り過ぎた。
    「笹原くん、よろしくね」
     甘くて丸い声がした。
     ポロンと頭の中に響く声。それは体育館のグランドピアノでハ長調のミの音を鳴らしたようだ。
     ササハラくん。ササハラくん。ササハラくん――。
     ミの音は僕の中で可憐に鳴り響き、いつのまにかドとソも加わって明るい和音を奏ではじめる。
     彼女に名前を呼んでもらうのって素晴らしい。”ケイジー”なんて爺様や下着みたいなあだ名ではなく、ちゃんとした名字で呼んでくれる彼女は素晴らしい。
     そして、
    「こっちこそよろしく佐倉さん」
     彼女の名前を呼ぶだけで、どうしてこんなに心がはずむのだろう。
     僕は彼女のことが好きで、彼女は僕のことをどう思っているのかなんてわかるはずもなく。けれど僕はその時、その瞬間、彼女がそこにいるだけで幸せだったのだ。


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    小説 ホワイトリボン | コメント(0) | トラックバック(0)2005/01/10(月)09:00

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