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「蒼文~犀崎堂~」かもしれない。
観月 1
観月1
この浜崎二中に転校してきてからもう二月が過ぎ去った。それは思ったよりもずっと短く、ずっとずっと普通な日々だったのかもしれない。
私――佐倉観月は黄色と白の文字で埋まった黒板をながめながら、ぼんやりとそんな感慨にふけっていた。
3月7日(水)日直 葉山・東野
葉山くんの殴り書き。そしてその横には校内の見取り図、各担当場所とクラスみんなの名前。
今日は噂の大掃除だ。
教室の後ろには竹箒やモップ、雑巾が大量に集められ、その出番を今や遅しと待っている。
私が転入した浜崎第二中学では卒業式と入学式を控えたこの時期、二年生全員で校内を隅々まで大掃除する。それは卒業生を気持ちよく送り出すため、新入生に立派な先輩としての姿を見せるため、もう五十年以上もつづいている伝統行事であるということだった。
転校してからはじめての大きな学校行事。
空は青く晴れているし、掃除はけっこう好きなほうだし、みんなと仲良く楽しめればいいな――。
春の午後のようにあったかな気持ちで、私はざわめく教室の中にゆっくり視線をさまよわせた。
同じ班に割り振られ喜びはしゃぐ女の子たち。校庭のドブ掃除に当たって不平たらたらの男の子たち。先生は教室の隅で静かに会議の成り行きを見守っている。
大掃除の開始時間は午前九時の予定だから、あと少し残っている班分けがすみ次第、全員が学校中に散らばって掃除にかかることになるのだろう。
なんだかんだ言い合いながらも、みんなの顔はとても楽しそうだ。
転校なんて小学校一年のときに一度経験したっきりで、「いったいどうなることやら?」なんて心配したけれど、このクラスはけっこう居心地がいい。
本当のところはまだわからないけれど、表面的にはみんな明るくて楽しいし、イジメとか登校拒否とか、大した問題もなくなんとか今日まで順調にやってこれた。
まだ親友と呼べるほどに仲のいい友達はできないけれど、今日をうまく乗り切れば、今年も楽しい気分で春休みを迎えられそうだという予感がする。
もし誰一人として友達ができなくて、犬のゴローちゃんだけが話し相手になったらなんて心配していたけれど、そんなのは結局、私一人の杞憂でしかなかったのだ。
(あ、宮下さん、第二班なのか……)
ふたたび黒板を眺めた私は、クラス委員の長野さんが書いた綺麗な字をみつけ、小さなため息をついた。
宮下さんはクラスで一番仲良くしてくれる子だから彼女と別の班になるのはちょっと残念だったし、それ以外にも一つ、この班分けが幸運なものではない理由があったのだ。
「この大掃除はね、ある意味チャンスなの」
――隣の席から宮下さんが声をひそめてそう言ったのは、先週のロングホームルームでのことだった。
得意げな表情で私をみつめる彼女にその理由を訊ねると、「持ち場によっては男女のペアーで掃除することになるからよ」という小さな声が返ってきた。
それから少し恥ずかしそうに頬を染め、「杉本くんって、ちょっといいと思わない?」って言った宮下さん。けれどその彼女は第二班にふりわけられ、残酷なことに杉本くんの名前はそこにない。
毎年の校内マラソン大会で上位の常連だという彼は今、教壇の横でジャンケンをしているところだった。
私がたまたま受け持つことになった体育用具室をはじめとして、音楽室や家庭科教室などの特別教室は、机を運ぶ手間を省略できたりするため男子に人気があるらしい。
杉本くんのジャンケンの相手は体格のいい三越くんと、彼とはライバル関係にあるという笹原くんだ。
笹原くんは宮下さんとは反対側、私の右隣の席の人で、私が転校してきた当日は宮下さんが休みだったから教科書やノートを見せてくれた親切な男の子だ。
杉本くんは彫りが深くていかにも美男子って感じの顔だけど、笹原くんも日焼けした顔がちょっとかわいくてちょっとかっこいい。
これは宮下さんにもまだ内緒の話だけれど、笹原くんは私が前の学校で片想いしていた男の子に少し似ている。
二人とも運動が得意で頭もよくて、でも、笹原くんと前の学校の彼との違いは、片想いの彼は私に何も話しかけてくれなかったけれど、笹原くんは一日に一回か二回、ちょっと楽しそうに声をかけてくれることだ。
笹原くんが八班になったらいいな。そうすればもっとたくさんお話ができて、もっと仲良くなれるのに。今まで男の子の友達なんてほとんどできなかったけど、彼とはとてもいい友達になれると思うのに。
そう、友達くらいにならなれる。
たぶん、じゃなくて絶対そうなれると思う。
でも――、
ま、いいか。
前の学校でもそうだったけれど、どうやら私には男の子から話しかけづらい雰囲気があるらしいのだ。
このクラスで一番綺麗な水原さんなんて、杉本くんを筆頭に毎日何人もの男の子の相手をしなきゃいけないから大変そうなくらいなのに、彼女と私の間に横たわるこのあまりにも深い溝はいったいどこから来るものなんだろう?
やっぱりこの、いかにも清純派って感じの重い髪がいけないんだろうか? 男の子って、ちょっと遊んでそうな軽い茶色のほうがかわいいと思うのかな?
一人で悩んでも答えは出そうにないけれど、私はこの真っ黒な髪が大好きだ。
浜崎二中の冬服は紺のジャンパースカートに紺のボレロを羽織る。そしてブラウスの大きな白い襟をボレロから出して、この髪型はその格好にとてもよく似合うと思う。
これで三つ折りソックスに黒の革靴を履けば完璧なのだけど、中学生はしょせん中学生でしかなく、足元が白いスニーカーになっているところがちょっと残念だ。
少女趣味っていうんじゃなくてトラッド。正統派。
そういえば転校先が決まったあの日、この制服にだけは心がときめいた。
そんなことを考えていると、教室の前のほうから威勢のいいかけ声が聞こえてきた。
「ジャンケン――ホイッ!」
どうやら三人の勝負がついたみたいだった。ガッツポーズをした笹原くんが教壇の長野さんに何か話しかけている。長野さんが黒板に白いチョークを走らせる。
8.体育用具室、男女各一名/佐倉・笹原
笹原くんがこっちを見た。日焼けした顔で胸を反らせ、気のせいかもしれないけれど、なんだかとっても嬉しそうだった。
私も少し嬉しくなって、自然に笑顔になった。
よかったね。体育用具室は狭いから掃除が楽なんだって。
彼が机のあいだをかきわけて、私の横を通って教室の後ろの掃除道具へむかう。
この学校のことはまだよくわからないけど、私もがんばって彼やみんなに迷惑をかけないようにしよう。
「笹原くん、よろしくね」
「こっちこそよろしく佐倉さん」
笹原くんはモップと箒とバケツと雑巾を両手にかかえ、やる気満々の表情だ。
私は、えっと、何を持てばいいのかな?
考えているうちに先生が掃除開始の号令をかけ、クラスのみんなはそれぞれの持ち場に散っていく。
「じゃ、行こっか」
「あの、私なに持てばいいの?」
「そうだな。蛍光灯の替えがまだ残ってるから、念のためにそれ三本ほどお願い」
私は長い蛍光灯を肩にかついで笹原くんのあとにつづいた。
廊下に出ると二年B組の人たちが長いハタキで早くも天井の埃を落としていた。
濡れ雑巾でガラスを磨く音。でたらめに作詞作曲した掃除の歌を歌う男の子たち。三月の少し冷たい空気にたくさんの埃が舞い散って、学校中がざわざわとざわめいている。
私たちが向かうのは体育館の裏にひっそりとたたずむ古びた体育用具室だ。
体育館裏の体育用具室。
宮下さんが言うには、もっともチャンスが到来しやすいエッチな場所らしい。
何のチャンスかというともちろん恋のチャンスで、なぜにエッチな場所かというと、それは学校の片隅にあって人気は少ないし、薄暗くて鍵がかかって、しかもマットのある場所だかららしい。
マットがあるとなぜエッチなのかというと、それは、その、そういうことなのだ。
でも、なるほど――。
どこの学校でも体育用具室はエッチな場所なんだ。
前の学校でも誰かがそんなことを言っていた記憶がある。
場所は遠く離れていても、前の学校の友達と、宮下さんの考えることには共通点がある。
エウレカ。
心の中で呟いた。
私はこの学校のことを少し知るたびに、また少しこの学校を好きになる。
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Author:犀崎大洋
ひっそりと再始動したかも。
人畜無害なエロ小説書きです。