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    観月2


     





     体育用具室の掃除は思ったよりも大変だった。
     たしかに室の広さはそんなでもないけれど、マットやボール、ネットに畳、こんな物がなんでここに? というような謎の物体がいたるところに転がって私たちの邪魔をする。
     窓を全開にして、出入り口の扉もいっぱいに開け放して、私たちは乱雑に放置された道具類を運び出し、それからようやく掃除の本番にかかった。
     笹原くんは脚立に乗って天井の埃をはらい、私は跳び箱を足場にして球の切れた蛍光灯を取り外すことになった。跳び箱の上はふわふわして安定が悪く、けれど私の心もふわふわと浮き立つ。
     掃除は大変だ。けれどとても楽しい。一年ぶんの埃とゴミが掃除されると、床や壁やガラス窓は本当の姿を取り戻してピカピカに輝きはじめる。
     笹原くんが一生懸命天井の埃をはらっていく。鼻歌なんか歌いながら竹箒でザッザッと天井を掃いていく。
     そんな彼を見ていると、自分だってがんばらなくっちゃ、と元気がでてくる。
    「よしっ、私も」
     私は天井の古くなった蛍光灯へと背伸びした。
     片手には新しい蛍光灯を用意して、すぐ交換できるよう準備万端だ。
     高さ80センチほどの跳び箱の上で爪先立ちになって、けれど、なかなか指先は目的の場所まで届かない。あとたったの3センチ背が高ければ問題ないのだけれど。
    「もう、ちょっと……なのにぃ」
     小さくうめきながら背伸びするけれど、古い蛍光灯はやっぱり外れない。なにしろ片手が交換用の新しい蛍光灯で塞がっているものだから、両手で目的物をつかむことができないのだ。
     ……って、そうか。新しいのは下に置いておけばいいんだ。
     私は背伸びをいったん中止し、とりあえず一息つこうと思った。
     ――とたん
    「大丈夫? 替わろっか?」
     とつぜん足元のほうから笹原くんの声がした。
     意表を衝かれるとは、まさにこの事。驚いた私の手から蛍光灯が滑り落ちる。
     慌てて振り向くと、彼はもう一本の新しい蛍光灯を持って私のことを見上げているところだった。
     落ちる蛍光灯。
     私はとっさに手を伸ばした。
     でも届かない。
     落ちつづける蛍光灯!
     危ない!
     そう思ったときには古い蛍光灯は新しい蛍光灯にぶつかって、とても澄んだ音を発し、粉々に砕け散る。
    「っつ! っててて……」
     笹原くんの両手には、粉々になったガラスの破片がキラキラと輝いていた。輝いた光の中には赤いシミがぽつりと浮かんでいた。
    「あ、そのっ、だっ、大丈……!」
     動転した私は彼のほうへと足を踏み出し、そうすると当然、跳び箱の上から踏み出した足の下には何の足場もない。
    「あっ! きゃあっ」
    「お、おっと!」
     私の体当たりを制服の胸で受け止め、けれどぐっと踏ん張る笹原くん。かわいい顔のわりに力が強いのか、私なんかの体重じゃびくともしない。
     私の長い髪が彼の顔にまとわりついていて、笹原くんはちょっと苦しそうに咳払いした。
    「やだっ。ご、ごめんなさい」
     ともかくも彼の手をこれ以上傷つけないように、私はあたふたと彼の胸から抜け出した。
     親切な彼は私にかわって蛍光灯を取り付けてくれようとしたのだろう。そんな彼に怪我をさせるなんて、私ってばなんてバカでドジで間抜けなんだろう。彼の両手から赤い血がポタポタと体育用具室の床に滴っていく。
    「そうだ。まず水!」
     のんびり構えている暇は無かった。私は笹原くんの制服を引っ張った。ちょっと強引に、けれどできるだけ優しく。
    「さ、佐倉さんっ!?」
    「お願い、こっちに」
     二人して体育用具室を飛び出した。眩しい外の光に一瞬目がくらんだ。用具室の横に、運動部員の人たちが使う水道があった。小走りに駆けた。笹原くんの手を水道の下に引き寄せた。
    「ちょっと、我慢してね」
     思い切り蛇口をひねり、流れ出た水流でガラスの破片を吹き飛ばす。笹原くんが一瞬顔をしかめる。私はごめんなさいと謝って水を流し続ける。
     たっぷり二分ほども患部を洗ったあと、蛇口を閉めると彼は申し訳なさそうに苦笑いした。
    「悪かった。急に声かけちゃって」
    「ううん。ううん」
     何か言おうとしたのだけれど、何をどう答えていいのかわからなくて、いつものように私はただ首を横に振るしかない。
     彼の手をそっと持ち上げ、目の前にかざして見ると、指先には小さな切り傷が幾つもできていた。切り傷からはキラキラ光る赤い血が滲み出していた。
    「痛い?」
    「そりゃちょっとは。でも、大丈夫だよ」
     笹原くんの指が震えている。彼は我慢しているけれど、本当はとても痛いんだ。
     綺麗な血。真っ赤な血。私と同じように掃除が好きで、私を助けようとしてくれた血。
     胸がぎゅっと締め付けられた。
     こんな時なのにちょっと嬉しくて、彼はとても優しい人なんだと思った。
     彼はこんなに優しいのに、私ってばどうしてこんなにドジなんだろう。私はなんとも情けない気持ちになって笹原くんの顔を見た。彼は照れたように笑った。
    「ありがとう。あとは唾でもつけて直すから」
     彼と私の視線がぶつかって、私の胸は居心地の悪いような、じんじん痺れるような、なんと言っていいのかよくわからない、とても変な感情でいっぱいになった。
     心臓の音がドクンと響いている。
     言葉がのどの奥に詰まる。
     唾でもつけてなんて……そんなこと笹原くんがしなくても私がやってあげるのに。私のせいでケガしたんだから、それくらい当たり前なのに。子供のときはそうやって、よく妹の傷を治してあげたものなのに。
     その想いは圧倒的で、でも、どうしてだろう? 唾でも何でも使って今すぐに手当てしてあげたいと思うのに、それはとてもいけない行為に思え、とてもエッチな行為に思え、私の体はまるで凍り付いたように動かない。
     なぜ、それはいけない行為なんだろう?
     なぜ、それはエッチな感じがするのだろう?
     子供のときは何のためらいもなくできたことなのに。妹が相手ならたぶん今だってためらわずにできることなのに。
     でも――、
     笹原くんは笹原くんで、妹は妹だ。それは同じように見えて、けれどやっぱりぜんぜん違うことなのだ。
     彼は男の子で妹は女の子、そして私も女の子で、しかも私と笹原くんは子供ではなくて、それはぜんぜん違うことなのだ。
     大人の男女関係は複雑で、唾をつけるってことは私の口に彼の指を含むということで、それはキスとか愛撫というエッチな行為を連想させるのだ。
     男の子と女の子は助け合って掃除をしなければいけないけれど、必要以上にキスなんかしてまで助け合うことはエッチなことで、この場所はエッチな体育用具室で、エッチな行為は公序良俗というルールに反するからやっぱり許されない。
     男の子と女の子が恋人同士ならルール違反にはならないのかもしれないけれど、彼と私はただのクラスメイトだから、結論はやっぱりしてはいけないことなのだ。
     だから、たぶん、私が彼の指を口に含むことはとてもいけないことだ。
     けれど、でも――。
     素直に手当てしてあげられればいいのに、こんなことで悩まなきゃいけないなんて、それならエッチなことをエッチだと感じることのない子供のままでいたほうがよかったのかもしれない。
    「もう痛くないし、手、離してくれて大丈夫だよ」
     彼が手を引こうとする。私の心がかき乱される。滅茶苦茶にかき乱される。彼の優しい笑顔がすべてを混乱させる。
     そんなの嫌だ。ダメだ。
     私は小さく首を横に振った。笹原くんは不思議そうに私のことを見つめている。
     彼はそれを嫌がるだろうか?
     私のことを軽蔑して、嫌いになるだろうか?
     心臓が萎縮する。喉がカラカラに渇く。
     でも、がんばれ佐倉観月!
    「ね、笹原……くん」
    「ん?」
    「私が、しても……いい?」
    「えっと、何を?」
    「その、指の、治療って言うか……」
     言葉が出てこない。どういう風に伝えていいかわからない。萎縮した心臓は今にも爆発してしまいそうだった。
     また、笹原くんは不思議そうに首をかしげて言った。
    「えっと、これくらいのケガ、ぜんぜん大丈夫だよ。でも、佐倉さんに治療してもらえるなら、かなり嬉しい……かな?」
     彼が笑った。頭がクラクラした。なんとか気持ちが繋がりそうだった。
    「本当に、私なんかがしても、いいの?」
    「えっと……なんで?」
    「下手かもしれないし」
    「いいよ」
    「どんな、方法でも、いい?」
    「いい。任せる」 
     一瞬、目の前が真っ白に染まった。どうにでもなっちゃえっ!なんて念じて、世間のルールをポイすることにした。
     私は彼の指を口の中に含んだ。口の中で舌を押しあて、流れ出る血を優しく吸い取った。
     応急処置。唾液で消毒。
     それは表面的にはとても正しい処置で、でもやっぱり世間一般では、してはいけないことなのだ。
     笹原くんが驚いた表情で私を見つめている。
     私はしてはいけないことを、けれど優しくつづけた。
     私の中で彼が震える。それは痛いから? それともいけないことに怯えているから?
    「佐倉……さん?」
     真っ赤になった彼が私を見つめている。
     恥ずかしいのかな? やっぱり嫌なのかな?
     けれど笹原くんは抵抗しなかった。ただじっと私の治療を、真っ赤になって耐えているようだった。
     赤くなるなんて、じゃあ笹原くんもやっぱり、これはいけないことなんだと思っているんだ。エッチなことだと思っているんだ。
     けれど今さら、はじめてしまった行為を取り消すことなんかできない。
     私は笑った。たぶんぎこちない笑いだった。
     大丈夫。これはいけないことだけれどね、ケガはね、こうするとすぐに治るんだから。
     そっと押し当てた舌を動かすと、彼の指がびくりと震えた。
    「あ……、佐倉さんの中指」
     笹原くんが言った。
    「切れてるよ」
     本当だった。私の指先は生暖かい血でぬらぬらと濡れていた。たぶんガラスの刺さった彼の手を触ったときに切ってしまったのだろう。
     私は自分の中指を二人のあいだにかざした。流れる血。笹原くんと同じ血。
     彼が私をみつめ、私も彼を見つめた。
     きりきりと胸が締め付けられる。顔がかちんかちんに火照る。私の中で震える指。私を見つめる真っ直ぐな瞳。
     彼はじっと私を見ていた。優しい茶色の目でじっとじっと見ていた。
     やがて笹原くんは目を伏せ、私の指を見た。そしてキリッと締まった唇を薄く開いた。
    「さ、佐倉さんのも、消毒しよっか?」
     照れ笑いする彼。私の中で震える指先。跳びはねる私の心臓。
     それは、とてもいけなくて、とてもエッチな行為だというのに、優しい笹原くんもそんなことがしたいというのですか?
     でも――、
     どうやら私の心は、とてもそうしてもらいたいと思っているみたいなんです。
     彼は私を見つめていた。顔全体が真っ赤だった。
     どうしよう?
     断るの?
     彼は真剣なのに?
     自分はそうしているのに?
     今さら?
     断れない。
     断りたくない。
     そうして、欲しい。
     それなら――やっぱり、絶対に、断れない。
     私は彼の指をくわえたまま小さくうなづき、震える中指をぴんと伸ばす。
     驚く笹原くん。
     けれどしばらくすると、彼の唇がためらいがちに進みはじめる。
     もうダメだと思った。
     胸がドキドキして息がつまって死んじゃいそうだった。
     一瞬。二瞬――。
     私の中指を吸い込む彼の唇。
    「ぁっ」
     心が震え、声が出た。
     彼の口の中はとても暖かくて優しくて、けれどとてもいけなくてエッチな感じがした。
     この場所は体育用具室で、出会って間もない男の子と女の子がお互いの指を吸い合って。それはすごいルール違反で、とてもエッチな行為だ。
     私は彼の血を吸う。彼は私の血を吸う。
     二人の血が体内で混じり合い、私の体の奥に小さな熱の渦ができた。それはとても熱い熱い渦で、しかも十分に潤っていた。
     ジュン。
     体の奥が痺れて、私は彼の指を深く吸い込んだ。彼も私の指を深く吸い込み、舌をそっと絡めてくれる。
     なんだかお互いの指にキスしてるみたい。
     胸がキュンとして体の奥がジュンと痺れる。顔が熱く火照る。頭に電流が流れたようで、心臓がドキドキいって足が萎えそうになる。
     それはとてもエッチだけれど、とても気持ちよくて、とても満たされた気分。
     この場所が体育館の裏で誰にも見られない場所で本当によかった。
     私と彼は何も言わずに、ずっとずっと指を吸い合った。


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    小説 ホワイトリボン | コメント(0) | トラックバック(0)2005/01/10(月)08:15

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