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「蒼文~犀崎堂~」かもしれない。
敬司2
それは信じられない、まったく、ぜったいに、信じられないような光景だった。
佐倉さんが僕の指を、その口に含んでいるのだ。僕の指から流れ出る血を、吸い取ってくれているのだ。
その上あろうことか、彼女は僕の血を飲んでくれていて、同時に僕は彼女の血を飲んでいるのだ。
パリッと糊がきいたブラウスの襟。同じくカッチリ着こなした紺の制服。長い黒髪はツヤツヤで、ピンクがかった白い肌もツヤツヤで、大きな瞳は深く澄んで、彼女はとても清潔でとてもかわいらしい。
そんな佐倉さんの柔らかな唇に僕の指が割って入り、心臓から流れ出た血が彼女の心臓に流れ込む。
ドクドク、ドクドク、ドクドク。
佐倉さんが僕の指を吸い、僕もお返しに佐倉さんの指をそっと舐める。
僕の体から抜け出した血は彼女の体内を巡回し、彼女の細く柔らかな指先を通って僕の中へと戻る。
指先の痛みが引いていく。かわりに痺れるような気持ちよさがこみあげてくる。ダメだと思うのに勝手に下半身が固くなる。
佐倉さんは不思議な女の子だ。
普通の女の子がしないようなことをしてくれて、けれどそれはとても優しい行為で、どうして彼女は僕のためにそんなことまでしてくれるのだろう?
もしかすると僕の気持ちが彼女に通じたのかもしれない。
それは一瞬のことだったけれど、指のケガに彼女の唾をつけてもらえればどんなにいいだろうと思ったのが、不思議な彼女にはわかったのかもしれない。
だから僕も彼女の指を優しく吸って、清潔な彼女をばい菌から守らなければならない。できることならばい菌からだけでなく全ての敵から彼女を守らなければならない。
それは願いが叶った代わりに僕に課せられた絶対なる使命なのだ。
佐倉さんの綺麗な顔が近づいただけでも緊張するのに、この不思議な気持ちの高ぶりに、僕の胸は今にも破裂してしまいそうだった。
僕が彼女を見つめると彼女も僕を見つめ返す。真っ黒な瞳に僕の顔が映り、脳みその底が彼女の中に吸い込まれてしまいそうな気分になる。脳みその底は股間の海綿体につながっているようで、彼女の瞳にひっぱられたそれは、いくらダメだと思っても簡単にガチガチに固くなってしまう。
たまらず指先を強く吸い込むと、彼女はハ長調のミの音で「んっ」っと短い声を漏らす。そのかわいい声のせいで、僕の脳みそと下半身はまたじんじん痺れてしまう。
それはとてもいい気分だけれど、とてもまずい状況だ。
僕らのまわりを三月の爽やかな風が吹き抜けていく。風の行く果てには青い空がどこまでも広がっている。
ここは体育館の裏で、芽吹きはじめた桜の木陰になっていて、たぶん誰にも見られることはないけれど、残念ながらいつまでもそうしているわけにはいかない。
たとえば誰かにみつかったとして、僕のことなんかどうでもいいけれど、佐倉さんが誰かにからかわれたりするのは絶対に許せない。
僕は自分の欲望からも誰かの好奇の視線からも、全ての困難を排して彼女を守らなければならないのだ。
彼女を好きな僕の気持ちはあっけなく臨界点にまで達し、コンロの上のやかんみたいに沸騰した恋愛感情は、ヒロイックな気分をぐらぐらと煮え立たす。
僕はなんとも切ない気持ちに後ろ髪引かれながらも、彼女の細い指からそっと唇を引いた。
たった今まで彼女と深くつながっていた感覚が消え去り、空恐ろしいほどの虚しさが僕のつま先から頭のてっぺんを包みこむ。
「あの、そろそろ、掃除に戻ろうか?」
心にもない言葉を、腹の底からなんとかひねり出した。
「あ、うん……ごめんね。みんなよりだいぶ遅れちゃったかも」
佐倉さんが頬を真っ赤に染め、上目遣いで僕の言葉に答えた。
胸がいっぱいとはこういう事か。彼女の声が頭の中でガンガンと鳴り響く。
虚しくて切なくてとても幸せで、僕の股間はじんじんと痺れ続けている。
「大丈夫。みんなもどうせダラダラしてるから」
僕は軽く笑って彼女の手をひいた。
彼女の手はまだ濡れたままで、それは僕の唾液のせいなのだ。そして僕の指先には彼女の唾液が沁み込んでいる。
「いったん教室まで替えの蛍光灯を取りに戻ろう」
「うん」
そして僕は、二人の指先がなるべく乾かないようしっかり彼女の手を取り、体育館裏の細道をゆっくり歩きはじめた。
夢のようだった。
と言うよりもむしろ、狐につままれたような気分だった。
恋っていうのは突然はじまるものらしいけれど、突然にも程があると思った。
その後、僕たちは教室でいつものように昼食をとった。いつもよりにぎやかな昼休みが終わると、みんなはまたそれぞれの持ち場にもどった。
学校中の廊下、広い講堂、今は使われていないたくさんの教室。掃除の終わらない場所はまだまだ山のようにある。みんなの雑談を総合すれば、学校中を磨き終わるのは下校時刻ギリギリになるらしい。
体育用具室の掃除を順調に終えた僕と佐倉さんは、担任の山田先生から新しい持ち場を与えられた。技術研究室と家庭科教室の間にある準備室を掃除せよとのことだった。
「家庭科でね、こんどケーキ作るんだ」
「佐倉さんって料理得意なの?」
「うーん、どうかな? 家ではお母さんといっしょにクッキー焼くくらいだけど、ゴローちゃんはすごくおいしそうに食べてくれるよ」
「ゴローちゃん?」
「うん。真っ白な紀州犬なの」
埃っぽい廊下を歩きながら僕たちは今までにないほどよくしゃべった。
彼女には妹が一人いて、お父さんはカメラメーカーの会社員で、犬のゴローちゃんは今年で五歳になるらしい。
ゴローちゃんお墨付きの料理の腕前には疑問が残ったけれど、彼女はそれよりも掃除やお裁縫のほうが好きなのだという。
どちらにしても彼女はとても女らしい女の子で、なるほどそれは彼女にぴったりの趣味だと思う。
技術研究室と家庭科教室のあいだにある準備室は両方の準備室を兼ねていて、狭い室の中は手前と奥がカーテンで仕切られている。
カーテンの手前には鍋やフライパン、タチバサミや長い物差しが整然と並べられ、奥の方にはノコギリや金槌、ペンチに電動ドリルなんかが木箱に雑然と収納されている。
中でも特に目立っているのが家庭科ゾーンにある白いリボンの束と、技術ゾーンにある大量の針金だった。
「さて、がんばるとしますか」
全開したカーテンを柱の金具にひっかけながら僕が声をかけると、佐倉さんは元気に「うん」と返事した。
短い協議の結果、僕は技術ゾーン、彼女は家庭科ゾーンに別れ、さっそく掃除にとりかかることになった。
技術の準備室だとはいっても、なにも授業で使う工具を掃除するわけではない。
他の教室と同じように壁や窓を磨けばいいのだから、やることはさっきの体育用具室と変わらない。
邪魔な道具を片づけ、天井の埃をはらい、窓を磨き、僕は壁のシミを雑巾でゴシゴシと擦った。
「笹原くん、ちょっとお願いがあるんだけど」
掃除をはじめて五分ほどがたった頃だろうか。彼女のためらいがちな声が聞こえ、僕は雑巾を動かす手を止めた。
「あの、蛍光灯。替えてくれないかな?」
「ああ。いいよ」
見れば家庭科ゾーンの端にある蛍光灯が一つ切れかかっていた。彼女にしても同じ過ちは繰り返さないということだろう。
僕としては繰り返してくれても全然問題ないのだけれど、彼女に頼まれたことを断ることなんて思いもつかないことだ。
僕は技術ゾーンにあった長い梯子を利用し、鬱陶しく明滅する蛍光灯を取り外しにかかった。
佐倉さんは珍しそうに、技術の授業で使う道具を眺めたりしている。
「あの……笹原くん。この穴だらけのニッパーって何に使うのかな?」
「ああ、それは電工ペンチっていって、電気の配線用だと思ったけれど」
「そうなんだ。ふぅん……じゃあ、針金ってなんでこんなに色々種類があるのかな?」
「うーん、リボンの種類がいっぱいあるのと同じなんじゃない?」
僕の足元で白いリボンの束がキラキラと輝いていた。
たとえばこれで佐倉さんの髪を飾ったりしたらすごくかわいいんだろうなと思う。思うけれどそんなことはとても口には出せなくて、歯がゆい気持ちで作業をつづけると、僕の頭の上でカチリと音がした。
消えかかった蛍光灯が外れたのだ。
「その辺あんまりウロチョロしないほうがいいよ。危ないものもけっこう多いから」
僕が言うと、佐倉さんはこっちをむいて苦笑した。
「私っておっちょこちょいだから」
「いや、その」
何もそんな意味で言ったのじゃないのに、訂正したほうがいいのだろうか。
「あのね、でも、私なんかより、ゴローちゃんのほうがもっとそそっかしいんだから」
どうやら機嫌を損ねたわけではないらしい。彼女は楽しそうな表情でつづける。
「ゴローちゃんってばこないだね、散歩の途中に猫を追いかけて道路の側溝に入っていったの。そしたら先の方が蓋付きになってたんだけど、それでもズンズン進んでいっちゃって、最後には体が側溝にはさまって戻ってこれなくなっちゃったの。いくら縄をひっぱっても出てこないから、最後は消防署の人に助けてもらって大変だったんだから」
なるほど。それは大変に間抜けな犬だ。
けれどそれで佐倉さんがあんなに喜ぶのなら、間抜けな犬っていうのも案外いいものかもしれない。
古い蛍光灯を片づけるために僕は梯子を下りた。それから新しい蛍光灯を手に取り、また梯子に上ろうとした、そのときだった。
「きゃっ! あああっ!」
佐倉さんが悲鳴をあげた。
何だろう!? まさか、またケガでもしたのだろうか!?
蛍光灯をリボンの束に乗せ、僕は彼女の元へと駆け寄った。
立ちすくむ佐倉さんの足元を見ると、木箱の中で電動ドリルが低い唸りを上げていた。
「な、なんか勝手に動き出しちゃって」
両手をぎゅっと握りしめて、佐倉さんは必死の面もちだ。そんな彼女の黒い瞳はうるうる輝いて、形のいい眉はぎゅっとしかめられて、ああ、うろたえる君の姿もとっても美しい。
僕はドリルの様子を確かめた。
「んっと、なんだ? 佐倉さんの踏んづけてるコードがドリルの引き金を引っ張ってるよ」
「あ! ああ! そうなんだ!」
慌てて飛び退く彼女。箱から伸びたコードがたわみ、ドリルの動きが止まった。
「でも、何でだろう? 元の電源は切れてるはずだけど」
壁の集中電源盤をチェックする。
スイッチはオンになっていた。誰かがオフにし忘れたのだ。
「ごめんなさい。私、ぜんぜん気づかなくて……」
「いいからいいから。佐倉さんのせいじゃないし、ケガしなかったんだから良かったよ」
「でも、私、迷惑ばっかりかけちゃって」
佐倉さんはがっくり肩を落としている。
「そんな気にしないで。こっちのほうは僕がちゃんと掃除するからさ、佐倉さんは家庭科準備室のほうでがんばって」
僕が慰めてやると、彼女はトボトボとリボンの束に向かう。
「わかった。笹原くんの言うこと聞いてちゃんと大人しくする」
彼女の顔がしょげかえっている。準備室の空気が暗く沈む。
これはまずい。なんとかしなければ。僕は場の雰囲気をなごませようと必死で冗談を考えた。彼女が喜んでくれそうな冗談。たとえば掃除関係のジョークとかお裁縫とか、それとも……。
「次にまた何か悪さするようだったら、佐倉さんもゴローちゃんみたいに首輪につなごうか?」
僕の笑い声。佐倉さんは沈黙。重い空気。
しまった。失敗か。あっちを向いた佐倉さんの背が細かく震えている。
けれど……。
「笹原くんのいじわる」
こっちを振り返った彼女の顔は泣き笑いになっていた。
よかった。大きな胸のつかえが下りたようで、僕はホッと息を吐き出した。
念のために、あともう一押し。
「佐倉さんは綺麗だし、たぶん首輪でも何でもよく似合うと思うよ」
「それって、褒められてるのかな?」
佐倉さんがクスクス笑う。
「でもね、私がつながれるんなら、この白いリボンがいいな」
彼女は山のようなリボンの束を指さしてつづけた。
「首輪のかわりにね、このリボンを蝶々結びにしてみるの」
なるほど。それはいいアイデアかもしれない。彼女の首には白いリボンがとてもよく似合うに決まっている。
僕は冗談ついでにリクエストした。
「じゃあさ、ちょっとリボン巻いてみようよ。それで佐倉さんを入り口の柱につないどくの。そしたら絶対にウロチョロできないから絶対にケガしない」
「そっか。そうだね」
「うん。佐倉さんには白いリボンがよく似合うと思うよ」
「ありがとう」
佐倉さんが笑った。僕も笑った。
僕はやりかけの仕事を片づけようと蛍光灯を取りに戻った。
「さあて、やりますか」
「うん。ちょっと待ってね」
佐倉さんがリボンの束をごそごそかきまぜている。
えっ?
って、そんな。
ほんの冗談だったのに、彼女は僕の冗談をどうやら本気にしてしまっている。
「あの、佐倉さん?」
「どうかな? ちゃんと似合ってる?」
そう言う彼女の首には白いリボンが輝いて、僕はそのあまりにも魅力的な姿に見とれ、指先一つ動かすこともできなかった。
白いリボンを首に巻いた彼女はとてもかわいらしかった。
けれど……。
けれど、どうしてだろう?
それだけじゃなくて。
そう。
僕には、そんな彼女の姿が、それ以上にひどくエッチに思えたのだった。
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Author:犀崎大洋
ひっそりと再始動したかも。
人畜無害なエロ小説書きです。