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    敬司5

     





     美術準備室を出た僕たちは、当初の予定通りトイレへとむかった。
     僕の横には佐倉さんが並んで歩いているけれど、彼女は顔を真っ赤に染めてうまく歩けないようだった。もうトイレを我慢するのも限界に近いのかもしれない。
     とんでもない所に寄り道したせいで、僕は彼女に辛い思いをさせてしまっているのだ。
     けれど、そんな風に反省しながらも、僕の心の片隅にはまた違った考えが鎌首をもたげていた。
     彼女がうまく歩けない本当の理由は、べつにあるんじゃないか?
     もしかすると、さっきのキスのせいで感じ過ぎちゃったなんてことはないのか?
     下劣な考えだ。そんな三流の夕刊紙みたいな話、佐倉さんに限ってあるわけがない。
     彼女はいつだって清潔で大人しくて、授業も真面目に受けるし、男女の中西みたいに下ネタでバカ笑いすることもない。そんな彼女がたかが僕のキスなんかで感じるなんてあり得ない。
     けれど――。
     さっきのキスを思い出すだけで、僕の強ばりが下着の中で勢いよく跳ねる。
     佐倉さんの唇、佐倉さんの舌、佐倉さんの唾液。佐倉さんのキス。
     とても甘くて、とても柔らかくて、信じられないくらいにかわいくて、そしてエッチで。ついさっきのことなのに、その全てがもう夢の中の想い出のようだ。
     でも、もし、万が一にも、僕と同じように彼女もそう思っいるのなら?
     僕の下半身はガチンガチンに堅くなっていて、学ランの裾がなければ普通に歩くことなんてできない。先端からは先走りの液が今までにないほど溢れてしまったらしく、下着もべったりとして少し気持ち悪い。
     佐倉さんも僕のように興奮して感じているのなら?
     それならば、やっぱり巧く歩くことなんてできないのでは?
     僕は佐倉さんのリボンをしっかり握りしめて廊下を歩く。
     正直言えば、さっきのキスの終わり際、僕は夢中で彼女に勃起したペニスを押しつけてしまっていたのだ。
     あの痺れるような快感。いつ暴発するかわからない緊張感。彼女が苦しげにスカートの奥で体をよじるたび、ペニスがびくびく震えてどうしようもなかった。
     かろうじて我慢したけれど、あのままの状態がもう少しでも長く続いていれば、僕はズボンの中で射精してしまっただろう。
     窓の外には校庭の桜並木が見える。喉の奥がカラカラに乾いている。
     何かきっかけさえあれば、僕は今にも彼女を廊下の床に押し倒してしまいそうだった。そんなバカなことできるわけがない思いながらも、彼女の首の白いリボンに視線は吸い寄せられ、彼女のすべてを僕のものにしてしまいたいと思っていた。
    「佐倉さん、着いた、ね」
     ようやくたどり着いた女子トイレの前で、僕はしゃがれた声を出した。さっき準備室に入るまではあれだけ楽しく話せたというのに、キスした後の僕たちはほとんど無言のままだった。
     意識しすぎなんだろうか?
     自分の欲望を戒めようと躍起になれば言葉が喉につまる。言葉が出なくて沈黙の時間がつづくと、それがまた胸を締めつけるように、甘く切ない緊張感を高めていく。
    「あの、すぐに終わらせるね」
     佐倉さんもどこか居心地の悪さを感じているようで、ぎこちない笑顔で答えた。
    「あの、リボン」
    「うん」
     さすがに二人一緒に入るわけにはいかないだろう。僕は彼女の首に結んだリボンをほどこうと手を伸ばした。が、
    「あれ? 固いな」
     ずっと結んでいたせいだろう。結び目がきつく締めつけられて、簡単にはほどけなくなっている。これはちょっとまずい。
     焦りを感じ、僕は指先に強く力を入れた。爪の先を結び目に食い込ませて引っ張った。
    「ダメなの?」
     佐倉さんが不安げに僕を見つめる。僕は安心するように明るく笑って答え、けれど結び目はいっこうに柔らかくならない。
     廊下を暖かな風が吹き抜けていく。風は遠くの教室から生徒たちの歓声を運んでくる。
     まずい。このままじゃ誰かに見つかってしまう。
     僕の額に汗が浮かび、指先が緊張に震えはじめた。
     と、そのとき。
     風に乗って、一段とはっきりとした話し声が聞こえてきた。かん高い女子の声だ。ブラウスとかワンピとか、何かファッションの話でもしているらしい。すぐそこの廊下の曲がり角のむこうに数人の女子生徒が迫っているのだ。
    「さ、笹原くん」
     佐倉さんが泣きそうな声で言って、僕の背に隠れようとする。
     僕は必死で左右を見渡した。
     けれど役に立ちそうなものはない。美術準備室までは距離がありすぎる。歩くのも辛そうな彼女を連れて、あんな所まで走りきれそうにない。
    「佐倉さん、こっち」
     僕は意を決すると、彼女の手を引いて女子トイレの中へ飛び込んだ。
     背中で女子たちの笑い声がいっそう大きくなった。
     けれど間一髪間に合ったらしい。彼女たちは相変わらず楽しそうに雑談をつづけている。僕たちに気づくことはなかったようだ。
     胸を撫で下ろして、奥のガラス窓から日が射し込むトイレの中を見渡した。
     誰もいない。個室の扉がすべて開いている。小便器がないせいだろう、どうにも気分が落ち着かなかった。
     けれど今さら躊躇している場合でもない。ぜんぶで五つある個室の四つを通り過ぎ、僕たちは一番奥の個室に入った。そこでもう一度リボンをほどこうと努力してみた。
     でもダメだ。ほどけない。
     どうするべきか?
     迷っているうちに、さっきの女子生徒たちの声がまた耳に入ってきた。
    「わたし、ちょっとトイレ寄っていくから」
    「あ、わたしも」
    「それじゃあ、あたしもつきあってやるか」
     佐倉さんの白い首がビクリと震えた。
     僕は慌てて振り返り、個室の扉を静かに閉めた。
     窓から差し込んでいた明かりが扉に遮られる。そっと鍵をかける。
     直後、トイレに入ってくる数人の足音が聞こえた。
     僕は佐倉さんを奥の壁際へ移動させ、じっと息を殺した。
     狭い個室の中に佐倉さんと二人きり。彼女も緊張しているのだろう。薄く開いた唇のあいだから漏れる呼吸は静かだけれど、わずかに乱れているようだ。
     僕の胸が高鳴り、また股間の塊が激しくその存在を主張する。
     扉には鍵がかかっている。誰も個室には入って来ることはできない。それどころか、そうしようと思えば放課後までずっとこのままの状態で彼女と二人きりでいることさえ可能なのだ。
     そう思うと、ねばつく粘液に濡れたペニスが痛いほど膨らんだ。それと同時に胸の奥がチクリと痛む。
     さっき、どうして僕は女子トイレに佐倉さんを連れ込んだのだろう?
     すぐ隣の男子トイレにも誰もいなかったはずだ。あそこなら他の女子が入って来ることなんて絶対になかったはずだ。
     それなのに――、
     僕は狭い個室で佐倉さんと二人きりになりたかった。また彼女とピタリと寄り添って、彼女の吐息を感じたかった。
     だから、どちらがより良い方法か知っていたはずなのに、あの瞬間、僕は意識的に女子トイレのほうを選んでしまったのだ。
     彼女を守るべき僕自身が、彼女のことを窮地に追い込んでいる。僕の理性が恐ろしい勢いで崩れはじめている。
     佐倉さんとキスしたい。佐倉さんとセックスしたい。
     ペニスがびくびくと震え、頭に血が上る。
     僕は情けない自分を呪った。
     けれどもう、どうしようもない。僕は佐倉さんに狂ってしまったのだ。
     狭い個室の薄闇の中、僕はそっと佐倉さんに近寄り、思い切り彼女を抱きしめた。


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    小説 ホワイトリボン | コメント(0) | トラックバック(0)2005/01/10(月)07:44

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